担当官をくるくる代えていく日本の官僚機構

ヒトの皮膚細胞から幹細胞を作り出すことに成功した山中伸弥京大教授への、Times記者によるインタビューがhatena界隈で話題になっている。

それから日本の厚生省の気の変わりやすさ。長期研究を短い期間に押し込めたり、十分な資金を与えずに放置したり。問題は、事務官の長が3年ごとに変わることだ。新しい人が来るたびに、科学研究に足跡を残そうと新しい予算を立ち上げるが、科学的な根拠はなく思い付きだけで、すでにある研究プロジェクト(どんなに成功していても)から予算を奪ってしまう。基本的に、3年でプロジェクトが完成できなければ、あきらめろということだ。

京大の山中伸弥教授かっこよす - おこじょの日記

ベタではあるが、末弘厳太郎の「役人学三則*1」(1931)を思い出す。

今まで××島支庁長をしていた人間を突然地方職業紹介事務局長にしたり、昨日まで法制局で法規立案の形式的事務に従事していた人を産業行政の局長にするようなことは現在の官海では尋常茶飯事である。先日ある医学博士は昨日まで警視庁の消防部長であった役人が急に衛生部長になるのはおかしいという主旨のことを新聞紙上に書いておられたが、現在の役人にとってはそういうことはなんらの不思議もない普通の事柄である。ある人を学務部長とする場合にも決してその人が教育事務の主任者として適当であるかどうかを考えるのではない、その人を役人としてある程度に昇進させる必要がある場合に、たまたまその必要なる昇進を与えるに適する地位が学務部長であれば、本人の知識技能いかんを問わずして学務部長に任用するのである。

末弘厳太郎「役人学三則」

美しき国、日本の伝統ですな。70年以上もこの調子なんだから、そりゃ簡単には変わらないよねえ。

末弘はその原因を官僚の昇進の都合と説明しているが、id:hideaさんがブクマコメントで指摘しているように、汚職防止のためという理由もある。とは言え、なんの工夫もなく機械的に人繰りをしていると、

むろんこういうことが官吏制度として望ましいことでないことはいうまでもない。すべての行政事務が実質的には比較的教養の足りない属官らの手中ににぎられて、長官はただ自身の出世を目標としつつ形式上その上に短期間すわっているというような実情が生ずるのはこれがためである。専門的知識をもたない、そうして任期の短い長官は、素人考えからいたずらに功績をのみ急ぐ。しっくりおちついて気永に考えるによってのみ適当に処理しうべき事務が個々の長官の個人的功名心満足の対象物になって実質的にその成績をあげえない。これでは下僚といえども真に身を入れて仕事をする気になれない。百害の因はまさにこの点に存するのであるが、現在の実情はまさにこのとおりである。

末弘厳太郎「役人学三則」

ということになる。なんか現状にそのまま当て嵌りすぎて泣けてきますな。

なお、一つ附記しておくと、私は厚生労働省の官僚が無能とは思わない。500ページにもなる書類の様式を策定し、多忙の中(霞が関の中の人たちは本当に忙しい)、それを1ヵ月で審査してのける事務処理能力には実に端倪すべからざるものがある(笑)。まあ、誰も幸せにしない有能さではあるが。